先日、「湯を沸かすほど熱い愛」で日本アカデミー賞など数々の賞を受賞した中野量太監督の最新作「長いお別れ」を鑑賞してきました。認知症を患った父親と見守る家族の10年間を8編で構成した映画です。

「長いお別れ」の映画の中で主演の山崎努は認知症を発症した父親役で妻と娘が2人と孫1人。

長女は夫とアメリカ暮らし、次女はアルバイトをしながら一人暮らしで妻が父親を在宅介護していました。

山崎は自宅にいながら「家へ帰る、家へ帰る」と言い出し、家族は困惑。

家族と山崎の実家へ帰省するも、「家へ帰る、最近遠いんだ」と言い、目的地を探し続けます。

このように突然「徘徊」や「外出願望」がはじまり、困っておられる方々が沢山おられるでしょう。

そこで、昨年11月末まで認知症の祖母を6年間ほぼ1人で在宅介護の経験を基に徘徊の対策をアドバイスさせていただきます。

参考になれば幸いです。

ひたすら歩く祖母の向かった先は・・・

「徘徊」とは、認知症の症状の一つで、見当識障害や記憶障害などの影響で起こることが多いと言われてきましたが、最近は、認知症の人が出歩く場合は、「徘徊」と呼ばないという動きもあると聞きますが、伝えやすいように、前回同様、祖母の場合は「徘徊」とします。

 昨年夏の午前8時頃の出来事。

 祖母が「私はここにおっていいんかいな?」と言い出しました。

 私は「そりゃそうやん、この家ばあちゃんの家やで」と返したのだが、祖母は「ちょっとね、行きたいところあるの付いてきてくれない?」と言いました。

「今日は特に暑いし、もう少し涼しくなってからいこ」と説得しましたが、納得しないで出かけると言うので付いて行ってきました。

 この前寄った郵便局とは真逆の方向、山の方に向かってひたすら歩く祖母。

 朝方とはいえ30度は超えていたはずなので、何度か「ばあちゃん帰ろ、署いし」と声をかけたが、私の思いとは裏腹にスピードを早めました。

祖母は間質性肺炎や変形性膝関節症も患っており、普段は片杖で20分位歩くのがやっと。

咳こむことも増えてきましたが、その時は一切なくひたすら歩き続けました。

 道順も祖母が「ここを右」、「ここを左」、「ここを真っ直ぐ」と言うのに従い、だまってそのまま付き添い、結局40分近く歩き、着いた先は駅。

 祖母の足がピタッと止まり「ここなの、お父さんとお母さんがいてねえ、ここの家族もいてねえ、あんたを一度連れて来させたかったのよ。よかった」と笑顔で話しました。

 私はとっさに「そうか、ここやったんか。来れてよかったな、久しぶりに来れてよかったわ」と話を合わせたが、どうやら第二次世界大戦中に疎開していた故郷の富山と駅を勘違いしているようでした。

目的地に着くなり倒れ込む

 その直後、祖母は私に倒れこむようにもたれかかってきたので、至急タクシーを呼び家まで連れて帰りました。

 家に戻ると、祖母は私が差し出したポカリスエットとお茶を紙コップ1杯ずつ飲み、しばらく椅子に座り、テレビを観ていましたが「ちょっと少し横になってええかな?」と言い、1時間弱寝ました。

 そして、起きてくると「あれ?あんた今日来てたんかいな?」と、同居する私とさっきまで一緒にいたことさえも忘れてしまった様子。

「昨日ね、もう一人の男の子と一緒に富山に行ってきたの、いっぱい歩いたけどね楽しかったわ」と言います。

 もう一人の男の子というは、誰のことなのか謎です、「ばあちゃん、一緒に行ったのシンゴ(私)やで、覚えといてや」と冗談交じりに答えると、祖母は「あら、そうやったかいな?私も頭がボンくらになっちゃったね」と笑いました。

 認知症が進行してくると、30分程寝ただけでも直近の出来事を昨日の事のように言ったり、忘れたり、昼夜逆転も増えてくるといいます。祖母の例も典型的な症状なのかもしれません。

一緒にいてあげるのが一番の対策かも

 こういった祖母の「徘徊」は半年程前からはじまり、現在週2回、1日で多い時に4~5回発現しています。

分析すると、必ず朝方かデイサービスなどの介護施設から帰宅した直後のどちらかで、私や時々来る母親が家事などで忙しくしている時間帯。

「誰も相手にしてくれない」というところから、祖母の不安が大きくなって混乱し、自分の居場所を求めて、どこかへ出かけて行くのではないか。

 GPSをつけたり、住所や名前を服や靴につけたり、介護施設を利用したり、気持ちを落ち着ける薬を飲ませたりするなど、「徘徊」への対策はいろいろあるでしょう。

祖母の場合は、できる限り寄り添って、一緒にいてあげることで、不安な気持ちが落ち着き、結果、「徘徊」そのものを減らすのには、一番の対策になるかもしれません。

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